動的核偏極(DNP)の数値シミュレーション

動的核分極(Dynamic Nuclear Polarization, DNP)は、電子スピンの分極を核スピンに移すことによりNMRの感度を向上させる技術です。平衡状態での電子の分極率は1Hの分極率の約660倍なので、それがすべて移せれば理論的には1Hについて最大660倍の核磁化の増大が期待でき、そこにサンプルを冷却することによる磁化増大効果を加えることによりNMRの解析能力を大幅に向上させることができる…はずなのですが、しかし実際には、特に数十K以下の温度で高磁場のマジック角試料回転(MAS)条件において、そのように大きな核磁化増大を行おうとしてもなかなか上手くいきません。一体それはなぜなのでしょうか。

それはDNPの大まかな物理的理論を考える際に無視しているようなこまごまとした効果が核の磁化増幅を邪魔するからです。固体サンプルを高磁場中で測定する際に発生する主な磁化向上経路は、2つの孤立電子と1つの核との間で発生する交差効果(cross effect)と呼ばれるものであるため、1つの分子中に2つの孤立電子を持つような物質(バイラジカル)を用いると効率がよさそうだという予想は容易に立てることが出来ます。しかし実際にバイラジカルを使って実験をしてみると、バイラジカル分子の形や分子内のラジカル間の距離によってDNP効率はかなり違います。また、バイラジカルの濃度によってもかなり異なります。ラジカルは核の磁化を向上させる一方でその強い磁化のためにNMRの観測を邪魔してしまうため、バイラジカルは添加量が多ければ多いほどよいという物でもありません。

DNP効率を数値計算で求める研究は、この問題を解決するための手段の1つです。これまではより良いDNP条件を探すためにはさまざまなバイラジカル分子を作りさまざまな濃度、温度、MAS回転速度、磁場強度で実際に測定してみるしかありませんでしたが、数値計算は実際に測定をしなくてもDNP効率を求めることが出来ます。すると、今までの測定法は何が原因で上手くいかなかったのか、何をすれば問題が解消できるのか、というのが分かってきます。そして、どのようなバイラジカル物質を合成して使ってやればいいのか、ということが当てずっぽうではなく狙いすましてできるようになるのです。

このシミュレーションは主にスーパーコンピューターを用いて行うため、研究はパソコンに付きっきりで行うことがメインになります。当研究所は蛋白質研究所という名前ですが、このような生物とほとんど関わらないような研究分野もあるのです。