中井 准教授 プロフィール
昭和??年に生まれる。平成?年に大阪大学理学研究科生物科学専攻で博士学位を取得後、名古屋大学理学部化学科の助手となる。6年間の助手生活を経て、平成?年に大阪大学蛋白質研究所に助教授として赴任、現在の研究をスタートさせる。2002年に3ヶ月間、アメリカのオレゴン大学分子生物学研究所に滞在研究員 Visiting Scientist として短期留学。2007年4月から大阪大学蛋白質研究所生体反応統御研究室の准教授となる。2016年4月より、オルガネラバイオロジー研究室と改名。

スポーツは中学時代から始めたサッカーのかなりのファン。現在も、毎週土曜日や日曜日に北摂地域のシニアチームでゲームを楽しんでいる。(サッカー経験者なら誰でも歓迎しますので、いつでもお気軽にどうぞ。)知る人ぞ知る Johan Cruyff に多大な影響を受け、背番号14に憧れたひとり。彼の「ワンタッチこそ最高の技術だ!」というシンプルな言葉に感銘を受けた。
~ 以下は、2016年3月30日の朝日新聞デジタルの記事。まさにその通りと思わせる内容だった。サッカースタイルだけでなく、ライフスタイルも、そうありたい、と再度思わせる内容だった。
追悼ヨハンクライフ、背番号「14」の記憶 文: 北條聡さん
サッカー界のコロンブスか、コペルニクスか。常人には見えないもの(真理)が、見えていた。 現役時代はもとより、指導者へ転じてからも、従来の常識をことごとく覆す偉大なイノベーターであり続けた。
何より、プレースタイルが革新的だった。 ポジションはセンターフォワード(CF)だが、最前線に留まっていなかった。現代風に言えば「偽9番」や「ゼロトップ」だが、それとはスケールが違っていた。ピッチの至るところに現れては消えた。
背番号「14」がトレードマーク。 俗に言うエースナンバー(10番)には見向きもせず、誰のコピーでも継承者でもない、オリジナルのイメージが増幅された面もある。
オランダのアヤックス育ち。恩師リヌス・ミケルスとの二人三脚で、アヤックスを欧州最強クラブへ導いた。また、史上初めて 三度のバロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を受賞。西ドイツの「皇帝」ことフランツ・ベッケンバウアーと人気・実力を二分する70年代の寵児(ちょうじ)だった。
特に1974年は、キャリアのハイライトと言ってもいい。西ドイツ・ワールドカップに参加したオランダは「時計じかけのオレンジ」と呼ばれた。巨匠スタンリー・キューブリックの映画のように、近未来的で、アバンギャルドな一団だった。
当時の常識だった攻守の分業を退け、全員が攻と守の両面に深くコミットするトータルフットボールを展開。従来の「待ち受け型」から、主体的にボールハントに乗り出す革新的なスタイルに打って出た。
「まるで太陽が西から昇ったような衝撃」 サッカー王国ブラジルの人々に、そう言わしめるコペルニクス的転回のハブ(中心軸)が、クライフだったわけだ。未来を先取りする一団は決勝に駒を進めたものの、ホスト国に敗れ、優勝を逃してしまう。この結末に、クライフはこう言い放った。
「西ドイツが勝ったのではない。オランダが負けたのだ」 大会のメインキャストだった我々こそが、「主語」として語られるべき--との強烈な自負が言わせたセリフか。のちに、クライフは、こうも語っている。
「いまも世界中の人々があの大会のオランダについて多くを語り合っている。それこそ、我々の『勝利』を意味するものだ」 (〜2016年3月30日の朝日新聞デジタルより)
サッカー以外のお気に入り
アウトドアは、どちらかというと海より山。特に森林限界あたりまでの所へ、テントや寝袋など大荷物を背負って行きキャンプする事を好む。最近は、ロードバイクでのポタリングやヒルクライムにハマっている。
音楽はジャズ好き、特にGuitar。“As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls”からの古株 Metheny ファン。特に、このアルバムの“September Fifteenth”や“It's for You”がある映画のサントラに入っていて感激。